『類は友を呼ぶ』ということなのか
うつ病になってから、同じくうつ病の人もしくは”元”うつ病の人が寄ってくるようになりました。
勝手に寄ってきて、勝手に共感してくる様は、私には異様に映りました。
今回はそんな人たちに向けて書きたいと思います。
うつ病の人の気持ちは本人にしかわからない
私が病気になって思ったのはこれです。
たとえば私が話をして、相手に「わかる」と返事されるとすごく腹がたつのです。
「私の気持ちがお前にわかってたまるか!適当に返事するな!」って思ってしまうのです。
これは私だけなんでしょうか…?
“元”うつ病の人は同じような経験をしたからこそ、擦り寄ってくるんじゃないかな。と思うんです。
「私は本当にわかってるよ信じて!」と言った風にごり押してくる感じがするのです。
たとえ”元”うつ病だったとしても本人の気持ちが「わかる」ことはないと思います。
私の知り合いに、ペットが亡くなったせいでうつ病になった人がいます。
私はその人の気持ちが全くわかりません。
仕事のパワハラ・過重労働からうつ病になってしまった私からすれば「何だ、それくらいで」って気持ちが芽生えるのです。
(でも、原因はともかく、うつ病で苦しいってことは理解できます)
苦しいんだなってことは理解できますが、助けてあげることはできません。
なぜなら、ペットが亡くなってうつ病になった人の気持ちが100%理解できないからです。
これは極端な例です。
これと同じように、うつ病になる理由は人によって様々です。
『わかる』ことなんて絶対にないです。
“元”うつ病の人たちが追い打ちをかける
“元”うつ病の人たちは、苦しみがわかってるからこそ、現在進行形でうつ病の人を助けようと必死になることがあります。
助けようとする意思は大事なのですが、その必死さが空回りして、追い打ちをかけてしまっているかもしれないことを落ち着いて考えて欲しいです。
そして、誰であろうと、うつ病から助けることはできない。と私は考えます。
うつ病からは、自分で這い上がるしかない。
周りができることは、気長に見守ってあげるだけ。だと、思います。
周りの人間が必死になったところで、うつ病の人が焦りを感じて、どんどん苦しみの底に沈んでいくだけです。
たとえ周りの人間が”元”うつ病だろうと関係ありません。
「いい経験だったよね」と勝手に評価しないで!
“元”うつ病の人に多いのが、自分が長年かけて手に入れた解釈を、”現”うつ病の人に押し付けることです。
たとえば、私がよく経験したのが”元”うつ病の人に「いい経験だったよね」と諭される場面です。
思い出して欲しいのが、”元”うつ病の人がその考えができるようになったのは、いつからですか?ということです。
うつ病のあの苦しみから、できるだけ短時間で助けてあげたい気持ちはわかります。
ですが、あの苦しみを解決できるのは『時間』だけなんです。
ゆっくり気長に待つしかないんです。
急かせば急かすほど、回復が遅くなりますよ…。
さいごに
“元”うつ病の人が”現”うつ病の人を助けてあげたい気持ちはすごくわかります。
でもそれが空回りするのはすごく勿体無いですし、お互いに良くないです。
助けてあげる前に、1つ踏みとどまって考えて欲しいのです。
- 自分のときはどうだったか?
- どうしてもらったら嬉しかったか?
- あの頃を思い出してみて、同じことされたらどう思うか?
他人の行動1つでうつ病の期間が長くなる可能性があります。
相手のことを1番に考えて、気長に接しましょう。
1人でも、苦しむ人が少なくなりますように。